心のユニバーサルデザイン

ユニバーサルデザインの紹介事例を目にする機会があるのですが、時々「あれっ?」と思うことがあります。大したことじゃないだろうと言われればそれまでなのですが、ユニバーサルデザインとバリアフリーが混同されて使われているケースが時々あります。
バリアフリーとはその言葉通り「障がいを除去する」という意味です。障がいのある人を前提に、その人にとっての障がいを排除しようという考え方になります。端的な例として、段差があった玄関に新たにスロープを作って車いすでも通行できるようにしようというのがバリアフリーです。
一方ユニバーサルデザインは、障がいの有無、文化、言語、国籍、年齢などに関わらずできるだけ多くの人が公平に使えるように予め設計されたデザインを指します。障がいを持つ人や高齢者を特別視しないという考え方とも言えます。
一つの例として、車いす用のパーキングがあるとします。このパーキングは周囲の一般のパーキングよりもスペースを広く取り、屋根も付け、建物との段差も無くし車いすの人が乗り降りしやすい環境を作っています。しかし、仮にこのパーキングスペースに「一般の車はご利用をご遠慮願います」と書かれているとすると・・・。誤解を恐れずに言うと、このパーキングは障がいを除く配慮がされていてバリアフリーではありますが「できるだけ多くの人が使える・障がいを持つ人を特別視しない」という視点でユニバーサルデザインとは言い難くなります。この場所は車いすの方だけではなくお年寄りや一般の方々も使いたいはずだからです。
ではどうすれば「できるだけ多くの人が公平に使える」パーキングになるでしょうか。ひとつはインフラ・ハードの設計になります。パーキングのどこにおいても誰もが使いやすいハード設計をする方法です。しかし、これは現実的には非常にハードルが高いことです。一朝一夕にできることではありませんし商業的にも持続性が低い選択肢かもしれません。
この問題を補う方法としてもう一つのファクターが重要になります。それはハードだけではカバーできない部分を「人々の配慮」で補完する方法です。簡単に言ってしまうと、わざわざ「車いす専用」と書かなくても、利用者は車いすの方に配慮してあえてそこには止めないという気遣いを当たり前のようにもてることです。
例えばヨーロッパの多くは、町の景観のために石畳や段差が多く、街並みにはバリアフリーの要素がほとんどありません。車いすの人にとっては多くの不便もありますが、そこに暮らす人々に困っている人間を助けようとする優しさがあります。ごく自然に障がい者が手助けしてもらえる環境があり、それは変に障がい者に気遣いをして暮らしているわけではなく、困っているときには自然と手を差し伸べるという人々が多いようです。
実はユニバーサルデザインの普及にはこの点が最も重要で、困っている人がいれば助けるという意識が社会全体に定着すれば、ハードに頼らなくてもかなり暮らしやすい社会になるはずです。そしてそれこそ「心のユニバーサルデザイン」であり「ユニバーサル社会」となるのだと思います。
いくら優れたデザインの施設や製品・環境が増えても、私たち自身が多様な人びとに向き合え思いやりを持てる心を持たないことにはユニバーサル社会は実現しません。自分とは異なる立場の人の視点に立ち、行動できること、それが心のユニバ-サルデザイン(ユニバーサルマナー)でありそのための取り組みが今後の課題でしょう。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。