ユニバーサルデザインとユーザビリティ

今回は、ユニバーサルデザイン(UD)関連の仕事をしていて最近感じたことを記しておきます。

地元の経済人の方々が集まる場で講演をさせていただいたり、周囲の知人や仕事関係の方にUDの話題を持ち出すと、私のイメージ以上に皆さんの多くがUDに対する認識があまり高くないことに驚かされます。UDがどういったものかを知らないとか、地域社会(ここでは行政の意味)がUDの啓発に取り組んでいることを感じたことがないとか、かなり浸透度は低いというのが実感です。

私が住んでいるのは浜松市ですが、浜松市は早くからユニバーサルデザインに取り組み、ユニバーサルデザイン条例を制定し、現在は第二次推進計画として新たなKGIを設定しユニバーサル社会の実現を目指しています。しかし、そこに暮らす人の認識や理解度としては前述の通りだと言えます。

この実体をどう捉えたらよいのか、私なりに解釈してみました。

ユニバーサルデザインを語る時に、多くの人は製品のデザインから入っていきます。またはバリアフリーをUDの一部のように捉えて話を始めます。

前者の例で言うと・・・

  • 缶切りを使わなくても開けられる缶詰
  •  左利きの人にも使いやすいハサミ
  • 少ない力で綴じることができるホチキス
  • 子供でも使いやすいリモコンスイッチ

などなど、いくらでもあります。また、後者の例で言うと、

  • 障がい者専用の駐車スペース
  • 自動ドア
  • 段差をなくしたスロープ
  • 点字ブロック
  • 多目的トイレ

このようなものが代表例でしょうか。このような事例を持ち出して、「ねっ、UDでしょう!」「UDって身近なところにたくさんありますね!」「UDはどんどん増えていますね!」といった切り口でアプローチを始めます。私も以前はそうでした。

しかし、これは『UDの啓発そのもの』にあまり意味がないことに気がついたのです。先日ある行政の担当者とこの話をした時に、その方も同様の感想を述べていましたのでまんざら間違いではないのかと思います。

では、なぜこれは意味がないのでしょうか。

ここから本題に入りますが、『ユーザビリティ(Usability)』というワードがあります。学術的な解説は省略して話しますが、ユーザビリティを一言で表すと「使用性」とか「使い勝手」・「使いやすさ」という意味です。もう少し詳しく説明すると、「ある製品が、指定された利用者によって、指定された利用の状況下で、指定された目的を達成するために用いられる際の、有効さ、効率及び利用者の満足度の度合い」と定義されています。

ユーザビリティとは、製造上の製品品質とは異なり利用者の視点に立った製品品質と言え、利用者にとって目的の機能を発揮させるのに手間をかけない、わかりやすくすることで利用者の満足度を高める設計になります。

ユーザービリティの高い製品というのは当然のことですが販売にもプラスに寄与しますので、メーカーはユーザビリティにウエイトを置いた製品開発を行うことになります。要するに、メーカーは『次々とユーザビリティの高い製品開発を行っている』と言えるのです。

さてこのユーザビリティですが、この言葉の意味するところはユニバーサルデザインの概念とほぼ同義であると言えます。唯一異なるのはユーザビリティが「指定された利用者(想定ユーザー)」をターゲットにしており、ユニバーサルデザインの概念は「誰にでも」と利用者を想定していない点です。

しかし少子高齢化社会を迎えた現在、メーカーの開発サイドがその製品の想定ユーザーを絞り込む際に「高齢者」をターゲットに設定し「障がい者」をターゲットに含めることは容易に想像できます。より多くのユーザーに使ってもらえる製品の方がより商業的価値が高いからです。

したがって、メーカーはユーザビリティに重点を置き製品開発を行っていますが、今やその成果物はほぼユニバーサルデザインだと言えるのです。理念としてのユニバーサルデザインを実践する方法論がユーザビリティなのです。もう少しくだけた言い方としますと、「メーカーの新製品のほとんどは、結果的にユニバーサルデザインの概念を取り入れている」ということなのです。

冒頭の話に戻ります。「こんなところにUD!」・「ここにもUD!」というプレゼンがあまり意味のないことだという話、それとUDという言葉があまり浸透していないという話です。もうお分かりかもしれませんが、新しく世にでる製品のほとんどはUDの理念を取り入れて作られているのです。ここにもあそこにもUD製品が溢れていると言っても過言ではありません。ユーザビリティを追求して製品が作られていますので、自ずとUD製品になるのです。結果、今の世の中にはUDが溢れているのです。

このことを利用者である我々はあまり意識せずに生活しています。新しい製品を購入すると便利になったとは感じますが、いちいちそれとUD を結びつけたりはしていません。ごく自然に、そしてあえて意識することなくUDを体感しているのです。

ユニバーサルデザインという言葉が浸透しない要因は、実は世の中にUD製品が当たり前のように溢れているからなのです。更にメーカーはどんどん(勝手に)UD製品を世の中に送り出してくれますから、利用者はUDの必要性・重要性などというものを全く意識することなくUDの恩恵を受けられるわけです。

ではUDの啓発は意味のないことなのでしょうか。決してそのようなことはありません。製品やサービスについてはメーカー側がますますユーザビリティの高い製品を提供してくれていますが、人々のコミュニケーションの分野ではUDはさほど進化していません。

障がい者専用駐車スペースに健常者が車を停めるとか、シルバーシートの席を譲らないとかといった話をよく聞きますが、これらの事例に代表されるように誰もが暮らしやすい社会(ユニバーサル社会)とはまだ程遠い状態です。そしてUD啓発の本質はここにあるのです。少し乱暴ですが、物のUDなどはメーカーに任せておいてもよくて、ユニバーサル社会・インクルーシブ社会の実現にフォーカスした啓発活動が今求められているのです。

この点を勘違いして「UD推進」などと言ってもあまり意味のある成果は得られないと気付いたのでした。